橋田寿賀子「日本で安楽死は難しい。もうあきらめた」ネットの反応は?
脚本家の橋田寿賀子さん(92)が安楽死について語りました。
これはかなり難しい問題ですね。
ネットでも様々な意見があります。
『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』をはじめ、国民的なテレビドラマを手がけてきた脚本家・橋田寿賀子さん(92)は2016年、雑誌インタビューで「認知症になったり、身体が動かなくなったりしたら、安楽死したい」と発言し、大きな反響を呼びました。GLOBE1月号で安楽死を合法化しているオランダを取材した太田啓之記者(53)が、橋田さんにインタビュー。その1回目は、「日本人が求める安楽死のあり方」についてです。
記者 橋田さんの安楽死に関する発言や著書『安楽死で死なせて下さい』にあれだけの反響があったというのは、とりもなおさず、高齢になった時の「死に方」について色々と考えている日本人が多いということだと思うんです。
橋田 私には、家族も心を残した人もいませんから、寝たきりになったり、重度の認知症になったりして、人に迷惑をかけてまで生きていきたくない。ただ単純にそれだけです。
自分の死について考え始めたのは、88歳ぐらいからです。それまでは、自分が死ぬなんて思わないで、一生懸命仕事をしていました。だけど、そのぐらいの年齢になると、自分の体がしぼんできちゃうんですよ。それを見て「ああ、もうすぐ私も死ぬんだな」と実感しました。
そうなるまではせめて元気でいたいと思って、週に3回、1時間ずつトレーニングしたり、お医者様に通ったりしています。その代わり、「もういよいよだめだ」というときに、「お願いです。もう精いっぱい生きたんです。死なせてください」と言ったら「はい、いいよ」と楽に死なせてくれる仕組みがあるといいな、と。それが、私の考える「安楽死」です。
身寄りがいませんから、体が自由に動かなくなったら、世話をしていただくのにいっぱいお金がかかる。そう思うと、お金も自由に使えない。まあ、船の旅には行きますけど、「これだけ使って大丈夫かな」と、不安に思いながら使うわけですよ。保険みたいに安楽死があれば、お金が安心して使える。元気なうちに精いっぱい使えるんです。
しんどくなって、動けなくなって、楽しみもなく、人の役にも立たない、人に頼らないといけなくなった時に、第三者が本人の状態や意思を確認し、そのOKをもらえれば安楽死できる。そんな仕組みがあれば、楽しく遊べるのにな、と思って。
記者 本人の意志だけでなく、それをきちんと判定する人が必要だと?
橋田 もちろん、それはいると思います。本人の意志に関係なく、そういうことを決められたらかわいそうですもんね。
■「日本は議論ぐちゃぐちゃ」
記者 安楽死が法制化されているオランダでも、「本人の自由意思」は絶対必要条件とされています。もうひとつの重要な条件は「耐えがたい苦痛があり、安楽死以外の方法ではそれを軽減できない」ということです。安楽死が行われた後も、地方の専門委員会がその条件を満たしているかどうか審査します。
橋田 だから、自分の意思をはっきりと示すために、元気なうちに絶対に遺言は書いておかないといけないと思います。
記者 橋田さん自身、そういう遺言はもう書いているんですか?
橋田 はい。「無駄な延命はやめてください。お葬式はいりません。しのぶ会もやめてください。マスコミにはだまっててください」と書いていますから。みんなにもそう頼んでいます。
現実問題として、日本で安楽死は難しそうだから、今は専門の在宅医にお願いして、安楽死に近い尊厳死をさせていただきたいと思っています。熱海にもそういう方がいらっしゃるんです。その方に「ご飯が食べられなくなったら、すり身にして食べさせたりさせないでください。もちろん胃ろうなんてやめてください」とお願いしたい。「ご飯を食べないで、老衰で死ぬ」のが一番いいなと思っているんですけど。安楽死はもうあきらめました。
記者 安楽死はあきらめたんですか。
橋田 本当は、あきらめてはいませんけど。安楽死について発言すると、うるさく言われることが多いんですよ。「安楽死なんてとんでもない。もっとちゃんと生きる希望を持ちなさい。一生懸命生きなさい」と叱られたり、「他の人にまで死を強制することになりかねない」と言われたり。
記者 日本では尊厳死(消極的安楽死)の法制化について、障害者団体などは「治療を停止する圧力になりかねない」として反対しています。だけど、高齢者の安楽死の問題と、障害のある方々の治療の問題は、分けて考えるべきだし、それは十分可能だと私は思うんです。
橋田 日本は、議論をぐちゃぐちゃにしているんですよ。安楽死を短絡的に、「役に立たなくなった人は死ねということか」という議論に結びつけるのは違うな、と思います。
若い人たちはもちろん、どんな努力をしても生かしてあげたいし、「もっと生きなさい」と励ますべきです。
でも、これからは70歳以上、80歳以上の人たちがたくさん出てきますからね。「患者を何が何でも生かす医療」だけじゃなくて、「患者にどういう死を迎えさせてあげたいか」、と真剣に考えるお医者様が増えないと、日本は惨めになる。かわいそうな人でいっぱいになると思います。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180305-00000047-asahi-soci
以下、ネットの反応
安楽死って自殺だと思っている人が多い気がします。
でも痛みで顔が体が曲がって亡くなるのがいいですか?
私の母は胆嚢癌で最期痛みから顔も手足も曲がり最期の別れも出来ませんでした
ALSで亡くなったおばあさんも最期の希望は殺して欲しいでした。
病気で自分の体が動かない言葉も話せない。
本当に苦痛だったと思います。
どうしても治せない痛みで苦しんでいる余命もそれ程長くないならば静かに息をひとるって言うのも尊厳死な気がします
下の世話も自分で出来なくなったら
楽に逝きたいですね。
金もあるし、まだ、とりあえずは、お元気そうに見える。
御存命のうちに、いろいろと意見しておいてくれ。
長生きが全てではない
安楽死も一つの選択肢として有りだと思う
いま私は独身で、このまま1人で生きて行くのも充分あり得るなと感じています。
ただ体が思うように動かなくなったとき、自分で自分の面倒を見られなくなるのがとても怖い。
登録制にするとか、登録してから何年以内は実行できないとか、安楽死が適用される基準を厳しめに設けて運用できるようになってほしい。
亡くなる前の10年間寝たきりだった祖母は、母にいつも早く死にたい、殺してくれと言っていました。がんばって生きてきて、人生の最後をそんな想いで過ごすなんて悲しすぎる。
元気に老衰が理想だけど最後を自分で選べてもいいんじゃないかな。
安楽死と尊厳死 医療の中の生と死 (講談社現代新書) [ 保阪正康 ] |
自分以外の立場だと考えを変えちゃうのがねぇ。
これから老人が増えるし変な延命で借金重ねても
返済が出来ないんだから安楽死は認めて欲しいなぁ。
施設に入所していたので看取れたのは施設職員だったんですが、長男である舅は時間を聞くと日付が変わって直ぐだったと聞いて
今日母さんの99歳の誕生日なんだよ、と。
あと一年頑張れば町長から百歳祝いもらえたのにねえとつぶやいたそう。
もうちょっと生きて欲しかったという意味なんだろうなと舅の心情を思い泣きそうになったと言ってました。
施設に入所してからの祖母は戦死した夫のところへ行きたがっていたというので本人はやっといけると嬉しかったんだろうか。
自分も認知症になったり長く誰かに介護されるよりはこんなふうに静かにいきたいなあ。
僕自身も延命治療はして欲しくないと思う。
延命して、臓器を壊すくらいなら、まだ使えるうちに使って欲しいとおもう。
死にたい訳じゃないけど、元気に生きて行けない状況下にあるなら、何かに役立って逝きたい。
厳しい審査が行われたあと、安楽死と言う逝き方を選べるのもいいと思う。
死ぬ迄金を使わせようという魂胆か? いや心臓が止まっても、金を巻き上げようという医療関係者の計算か?
「天国に一番近い劇場」なる所で、好きな映像と音楽で最期をエンジョイしたい。そういう時代が必ず来ると信じています。
長寿国家やセイフティーネットとかきれいごとだけ並べて中身のない行政・・・
安楽死も状況によっては必要だと思う・・・
橋田先生は下の世代のことをよく見てるよなぁ
私自身、子供もおりません。
相続する人も、老後の面倒を看てくれる人もいません。
お金はあっても、保証人が居ないと、入院だって出来ないでしょう?
夫が先に亡くなった時は、私もおしまいにする時だと決めています。
自分の命なんですが…
何の権限も持たせて貰えないのはなぜ?
回復が見込めないのに、
苦しみ続けて、身体が脱け殻のようになるまで、頑張り続けないといけないのはなぜ?
リタイアが許されないのは、理解出来ない。
それに、その方が国の為にもなるじゃないの。
超高齢化社会だとか、医療費が、年金問題が…って騒いでるけどね…
倫理観だけ、理想を押し付けられても、
全く響きません。
欧米には寝たきりの老人は居ないそうです、何故なら橋田先生が望まれるように不必要な延命措置を取らないからだそうです。
死の在り方については生前に本人の意思が尊重される様な仕組みづくりが必要ですね。
40代の方は就職氷河期で食べていくのが精一杯の人々は沢山いると思います。この先、年金も破綻しているかもしれないし、貯金も老後生活できるほど貯めている人はほんの一握りの人だけだと思います。
私の意見は子供にも迷惑かけたくない、生活保護でも迷惑かけたくない。
自分の力で生活できなくなれば、私はそこで人生終わっても良いと思う。
安楽死という選択ができれば安心できるのに。
高齢者の病棟で少しの間働いたことがありますが、好きな服も着ることもできず、施設のトレーナーをきて流動食を口に押し込まれ、オムツをはいて、髪型も決まったショートカット。
風呂にも週1日にしか入れない。
懸命に生きた先に何年もの間こうなるなら、批判は覚悟で言いますが、70代くらいで癌になって緩和ケア病棟で死ぬ方が幸せだなと思います。
電車で好きな所に出かけることができなくなったら、もう生きていたくないなぁ。
最近は寿命が延びすぎましたね。
医療とか介護施設も人員不足だし、
ギスギスしてトラブルに巻き込まれたりも嫌ですし。
子供達の将来のためにもそろそろ超高齢化社会ストップさせてください。
法整備が進まな過ぎて逆に医療の現場ではそう希望する人が多くなり密かに医者の善意のもとに実施されているように思います。
そう、目の前の飯を介助なしに自分で食べられなくなったらそれは逝く時です。
そうゆう死生観を持つべき。この何十年間かの日本のいたずらに延ばしまくる終末期医療はもうおしまい。
年寄りが生きてるせいで未来を担う子供らがひもじくなる世の中だけは避けましょうよ。
どんどん天国にいきましょ。
でも生命保険は×50%とかの処置は議論が必要。
苦しまず人間らしい最後を迎えたいって言うのは我が儘なのかな。
痛くない死に方 [ 長尾和宏 ] |
認知症で寝たきりになったら安楽死できるようになれば、橋田の言う通り、年寄りはお金を使うようになり、介護以外の業界にもお金が流れるようになる。
一生懸命働いて貯金をし、死ぬまでそれを介護業界に吸い取られるかと思うと、何のために生きているのかわからなくなる。
言葉を話せない。
ご飯を食べれない。
排泄は垂れ流し。
自分が何者かわからない。
そんな状態の人がたくさんいて
20年前なら老衰として亡くなっていたはずの人が生きている。
これも平均寿命が延びている一因。
ただ、生きているだけ。
正確には生かされている。
寿命と健康寿命はどんどん乖離している。
現在の医療技術は、こんなおかしなことを可能にしてしまう。
死に時、死に方は置かれた状況によっては、自分の意思で決めたい。
胃ろうなんて、絶対にしたくない。
あれは、生かされているだけ。
それから20年以上が過ぎ、身近な人が癌などの病で苦しむのを何度も見て、ようやく問題を理解できるようになったと思います。今では尊厳死にや安楽死も条件次第ではあっても良いのではないかと思っています。国にも超高齢化社会でのヒトの死のありように関してもっと議論していただきたいと思います。
トイレに行けない、ご飯を自分で食べれない人を世話するのは当然のような認識でいたけど、世界共通ではなく、日本だけらしいですよ。
自然死するのは人間の当然の要望であり権利だと思う。でも蘇生し、介護なしで生きられなくなったら、それすらも選択する事は出来ないんです。
先に主張しておかないとダメです!
とっさの時、ドクターは、本人は元気な時どのように言ってましたか?ご家族はどう考えますか?と聞いてこられます。まさかの時を考えて周囲に伝えておきましょう。
80歳を超えてもなお、生きることに執着する老人だって沢山いるだろう。いや、むしろ大半の老人はそうなのではなかろうか。
しかし橋田さんの場合、バリバリ脚本を書いたり小説を書いたりするにはもう限界を超えているとご自身で悟っているようだ。そしてお子さんもいらっしゃらない。
病は気からとはよく言ったものです。延命措置をしなくとも、もしお身体が思うように動けなくなってしまったとしたら、橋田さん本人がもういよいよだ、と弱気になった途端、だんだんとそうなっていきますよ。
親族である私達は「長生きしてね」が口癖でしたが、本人は晩年「自分より年の若い者がどんどん亡くなってやり切れない。生きていても辛いばかりだ。それに俺は、誰かに世話かけてまで生き続けるつもりはないぞ」と言い続けていました。
そして、祖母が亡くなってから飲まず食わずになり、後を追うように息を引き取りました。
亡くなる直前まで一切の介護を受けず、誰にも迷惑をかけず、ただ静かに旅立ちました。
残された私達は悲しみましたが、それが
祖父の望む生き方、そして死に方だったのだと思います。
長生きは良い事のようで、状況によっては当人の望まない事かもしれません。
安楽死といってしまうと、賛否両論でると思いますが、橋田さんのお気持ちは想像できる気がします。
介護問題が深刻化する中、色々と考えさせられる記事でした。
だから人生の最後はこう迎えたいと家族や周囲の人に伝えたり話し合ったりする事が大事なんだと思う。そして残される家族の立場や気持ちも汲んであげないとならないと思う。
だから独りよがりにならない様に周囲を説得できる自分でいたいと思う。
けどまぶたが動かなくなるのは時間の問題だそうで、そしたら意識や意思をハッキリもったまま何の意思疎通もできず暗闇に寝たきりになるかもしれないそうで…その人が意思疎通できなくなる前に早く安楽死を認めてほしいようなこと言ってた。
老後どころかその人30代くらいだったけど、考えただけで気が狂いそうだと思ったし息苦しくなった。
本当に認めてあげてほしい。
今、あんたは、すでに生きていてもあまり楽しくないだろう。
いくらお金使っても、92歳のカラダ抱えていてわな。
だから、薬でもって、楽に眠るように死ぬことを希望するのだろう。
みんな同じこと考えている。
橋田寿賀子さんも、もうすぐ、オムツをかえてもらって、風呂に入れてもらい、尿漏れはしょっちゅう、いずれ、そうなってしまう。
いや、軽い尿モレは、100%今もうすでにあるだろう。
人になかなか言えないからね。
まあ、あんたの気持ちもよくわかる。
みんなそうだよ。
橋田さんもそうですけど、まず安楽死になるべき状況って言うのを誰が判断しますか?ってことが1つと、仮にマトモに判断できてた時は~になったら安楽死って状況になったとして、その時に、~って状況になったからあなたは安楽死安にしますねって伝えた時、死にたくないって言った場合とうするの?ってことが1つ。
子供に迷惑を掛けたくないとかそう言う理由で老人施設に入所を希望してる方って結構多いけど、いざそうなったら多くの人が在宅を希望してかなり抵抗するし。
施設入所でさえそんな感じなのに命のやり取りを昔の感情とか考えで決定するなんて現実的ではない。
少なくとも認知症はなくて身体だけが動かなくなった場合のみ安楽死くらいかと。
本人の意識があるうちに誓約書を家族同席の上、作成しておくのも良いと思います。
命ある限り、延命してでも長生きはして欲しいってのは、家族の誰でも思う事だけど、またこれ以上苦しむ姿も見たくない、というジレンマにも苦しむ事になります。
もしそこにご本人の意思を尊重し、安楽死の選択があるならば、これ以上苦しんで助かる見込みがないならば、安楽死させて欲しいと願う方も大勢いると思います。
もちろん自然死を尊重するならば、苦しんでいても生が尽きるまで見届ける、というのも家族の務めだと思います。
ただ、そこにもう一つの選択肢があってもいいのでは?と思います。
あくまで、本人の意思があってのことですが。
薬物を使って眠るように楽に死ねるならば、本人も満足ではないでしょうか。
しかしいざ仕事になるととにかく患者様を死なせてはいけないと強く思いどの様にしたら少しでも長生きして頂けるか常に考えて行動しています。少しでも栄養をとペースト食にしたり、痰が絡むからと吸引したり。自分だったら嫌だなと思いつつやはり殺してはいけないと思うしそれが私達の仕事なので。矛盾しているなぁと思います。自殺の手助けになるという問題もあるのでしょうが、安楽死が認められれば自殺も減ると思うし、安楽死が認められる世の中になるといいなと個人的には思います。
リベラル派が好きそうな言葉だが
人として尊厳を保ったまま終焉の時を迎えるという
自己決定を否定するのもまたリベラル派が多いように感じるのも
不思議なもので
でも一番の阻害要因は家族親族かな
その命が本人のためにあるのではなく取り巻く人々のためにあるように感じるんだな
未だ蝋燭は残っているのか、もう終わりなのか
ピンピンコロリがいいのは、誰でも同じ
神様しか分からない
今日、精一杯生きたらそれでよし
明日は明日自身が悩む
昨日は夢
明日は幻
今日が人生
高齢者に限り、安楽死があっていいと思います。そしたら、お金の使い方も変わり。経済も回っていく場合だってあるでしょう。基本元気なら安楽死はしなくていいんですよ。冷静に考えてください。介護受けてまで生きたいですか?介護者の質を落とさない為にも物凄く必要な事だと思います。介護で揉めてる家族をたくさん見て思った事です。お金がある政治家にはわからないでしょうが
苦しみ周りに迷惑かけるのならいっそ楽にしてほしいと私も思う。医療の進歩は著しいが、どう人生の最後を迎えるかとの議論はまだまだだしタブー視されてる。
そこを生きてるうちから自分の終えかたを家族に表現できて、医療の側も法律を扱う側も難しいからと言って放置してはならない問題なのでは。
近くには泉ピン子さんと医者の旦那さんが住んでるので、健康問題は無い。
知り合いで闘病生活してる子がいたけど治らないのわかってて薬投与で延命してたんだけど本当に痛いらしくてずっと楽になりたいって言ってた
悪い事してないのになんでこんなに苦しまなきゃって見ててすごく辛かったからそういった人達の為にも1つの選択肢としてあってあげてほしい
若いうちに生きたくても亡くなる人もたくさんいる中で92歳まで生きていられることに感謝して命の期限まで全うすべきだと思う。辛いこともあるかもしれないけど、体が動かなくなりましたハイ安楽死させてくださいっていうのは違う気がする。
とりあえず、安楽死が法整備されていない日本でも出来る限りの尊厳死ができるように。
安楽死はやっぱり医師の負担が大きいと思う。
安楽死をさせてあげたい、看取りたいという医師がいないと難しい。
こんなにみんなが願う安楽死、実現してくれてもいいんじゃないかと思う。
言ってることに説得力があるし、
論理にほころびがない。
事情を汲んで、判断をすべきだと思います。
私はとっくに考えていました
もちろん今も
別に死にたい訳ではありません
動けない、話せない、食べられない
そして何よりも耐え難い痛みにさいなわれるような毎日になったなら
どうか死なせて欲しい…
それだけです
親族ならまだいいが、赤の他人に迷惑かけながら
数年間、おそらく暴力や暴言を放って生きるよりも、安らかに死を迎えたいと思うけどね。
苦痛を乗り越えた先は死ぬ以外にないんだからね。
生きるのが苦痛で長生きできるのに死を選ぶのとは、別に考えた方が良い。