節分に豆抜きの豆まきが広がっている⁉豆まきの意味とは…ネットでは賛否両論
節分といえば、やっぱり豆まきですよね。
しかし、最近保育園や幼稚園では豆を食べると窒息の危険があるということで、新聞紙を丸めて投げる豆抜きの豆まき(紙玉まき?)をするというのが広がっているそうです。
当ブログでも子供が豆を食べると危険があるというニュースを扱ったことがありました(【節分】消費者庁「豆は3歳まで食べさせないで!窒息するよ!」)
ネットでは「豆は本当に危険だから賛成」「危険だからと何でも遠ざけるのは良くない」「危険だということを教えるいい機会」など賛否両論の声があがっています。
保育園や幼稚園で、豆を使わない節分の行事が広がり始めた。豆を食べての窒息事故を防ぐ狙いがある。
「鬼は~外!」。さいたま市内の保育施設「小鳩ナーサリースクール」で29日、一足早い節分集会があった。園児約80人が鬼の人形に投げつけたのは、新聞紙を丸めて作った拳の大きさほどの「豆」だ。
昨年までは、保育士が扮(ふん)した鬼に子どもらが煎り豆を投げていた。だが、鬼が怖くて保育園に来たがらなくなる子もいたため人形に変更し、豆による事故防止のため新聞紙を活用した。
消費者庁によると、2010年から7年間で14歳以下が大豆などを喉に詰まらせた事故は全国の協力医療機関で27件。うち20件が3歳未満だった。同庁は3歳頃までは煎り豆などを食べさせないよう呼びかける。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190130-00050056-yom-soci
以下、ネットの反応
危険を回避する方法を本人も保護者も学ぶ機会が必要だと思うけど
我が家では、上の子は9才だけど、
毎年そうやって言ってるよ。
危ないから止めるではなく、
危ないと言うことを伝え、
回避の仕方を教えなくては
いけないと思います。
小学校のキャンプ実習(昔は林間学習)での夕食はレンジで温めるご飯とレトルトのカレー(メーカー指定)だと小学校で先生をしている友人から聞いた時には驚いた。
その友人の奥さんは中学校で先生をしていて「最近の修学旅行の夕食はバイキング形式が主流ですよ」と言われて理由を聞くとみんなが同じメニューだと好き嫌いで何か問題があったら生徒が可哀想だと保護者が言うかららしい。
学校等では一方ではみんないっしょにと言い、もう一方では個人を尊重という保護者のダブルスタンダードに振り回されている。
事故が起こるかもしれず危険だから、公園に遊具を置かない。
喉を詰まらせるかもしれないから、豆まきをしない
転ばぬ先の杖も大切ですし、命にかかわる危険が、ふんだんにある状態は規制して当然ですが、かといって過剰反応するのも危険なことだと思う。
転んで痛い思いをして、転ばない方法を学ぶのだから。
豆まきの豆の成分が変わったわけでもあるまいし、「窒息の危険があるから予め遠ざける。」だと、その危険性を知らないで大人になるわけでしょ?それって正しいですかね?周りに大人がいる状況でそういう「体験」をすることも今後の今後の子供たちの成長のなかには必要な事だと思うけどな。
意味ないと思うが。
かわいらしい鬼に豆ぶつけて追い出すの?
ちょっと違うと思う。
確かにあれもこれも中止、という風潮も考え物ですが、誤嚥・窒息のリスクが高いこと、更に誤嚥・窒息した際に病院としても対応が難しいことを承知して豆まきをしているという施設、親御さんは少ないのではないでしょうか…
保育園なんて数人の大人で何十人をみるわけで、
まいてる最中勝手に口に入れる子もいるかもしれません。
泣き叫ぶこどもがたくさんいる中そういう子にも目を配るとか、
1粒ずつちゃんと噛んでという注意を全員が守れるとも思えませんから、少しでも危険があるとすれば柔軟に対応すればいいと思います。
危険もあるけど避けて通るわけにいかないような経験は
各家庭でやればいいと思います。
あと、幼児用に節分パッケージのボーロが売っていたので1歳2歳の頃はそれを使いました。
ボーロ、よかったです。
子どもの時は自分の歳の数分しか食べられないから、ほんの数個を大事に食べてたのに。
なんかあるといけない前提で物事を決めてたらなーんも出来なくなるよ。
こんなことは十分に気をつければいいだけ。そうやって古来から受け継がれてきたんだから。
ついでに食べると喉に詰まる恐れがあるから流動食にでもしようか。
窒息事故防止はちゃんと噛むことや焦らず食べること、万が一詰まったときの対処法を学んでおくことで予防はできる。
なんか世の中過保護で集団よりも個人の意志を尊重しすぎている気がしてならない。危険を学ぶことでそれを回避する知能が発達するわけでそれそら「守ってあげる」というのは個人を脆弱にするばかりだと思う。
て言うか、これは、「失敗が許されない社会」になってる中で「危険回避」にまで至っているんだろう。
だとしたら、尚のこと、かなり複雑にも思うが。
にしても、食育が絡む話のこと、せめて「噛んで食べなさい」とは言うべきとは思うね。
しかし、鬼を怖がるから人形、豆は危ないから新聞紙って、豆まきの大事なところが無くなっちゃいますね。
普段優しい男性の先生方が「今日は出張だから」と姿を消してしばらくした後、怖い赤鬼青鬼が入ってきて子供達を「良い子にするかー?」と追い回し、子供達は泣き叫びながら逃げまわったり、必死に豆で応戦したりして、最後は、鬼が園長先生にピコピコハンマーでやっつけられる。。。という流れを卒園DVDで観る、という楽しみと思い出がなくなっちゃいますしね。←娘が行ってた幼稚園の豆まきです。
我が子の学校でもありました。
四年生になった時の彫刻刀。安全ガードというものがついていて、指がグサッと切れないようになっている。安全に配慮するあまり、自分で考えて危険を回避する能力に乏しくなるように感じてしまいました。確かに彫刻刀ささったら痛いです。痛い、怖いなどの恐怖心を教えるのも教育ではないのでしょうか?
でもそうさせてしまったのも、保護者の責任もあるとおもいます。
窒息のように死に直結する危険があるものではなく、もっと別の機会で学べば良いことだと思います。
(怖がるからと)動く鬼もいない、(窒息の危険があるから)豆もない、これでは節分の意味や作法を正しく教えることが難しいですね。
充分に目が届く各家庭で教え伝えていくか、行事が廃れていくか、時代が進んだ時にどうなっているかが気になります。
なぜ豆をまくのかなど節分の由来は伝えつつ、伝統行事に親しみをもてるよう、イベントとして楽しんでいます
でもやいかがしは本物を飾っています
節分の本質を大切にしながら、状況によって柔軟に対応すればいいのではと思います
保育所なんかは安月給で人出不足なんだからそこまでリスクを背負ってやる必要は無いですよ。
やりたかったら自分家でやってくださいで充分。
実際の現場で事故が起これば、ただでは済まされない。
そういった事情を理解できない人こそ、本当のお子様です。
現実の選択に迫られる現場では、そんな無責任な意見は無意味です。
逆の立場にたって、
日本古来の文化を守るために、お宅のご子息は犠牲になりましたが、
仕方がありませんね。と言われてどう思いますか?
想像もできない「大人子供」が多いんでしょうね。
まして、3歳児に何を言い聞かせたって、
そのとおりにはなりませんよ。
いつもの豆で豆まきをやってた。
手作りの鬼のポシェットに豆を入れ、
青鬼と赤鬼めがけて投げつけたって。
そのポシェットを持って帰ってきたから…。
玄関でピンポンが鳴るたび、
子供が鬼のポシェットを装備して
玄関に走っていく。
とにかく玄関から鬼が入ってこないか
常に警戒してる。
その傍らで弟が豆を欲しがるから、
年の数だけだよと言いながら
3粒ほど渡してた。
とにかく見てて面白い。
確かに豆は窒息の危険があるけど、
新聞を丸めたやつだと、
ちょっと面白さが半減だろうな。
日本の良き文化だと思う。
それとも保護者が「怖いから節分の豆まきは豆抜きにして!!」って言うのかな?
もし後者なら、保育園や幼稚園で働く先生達の心労は凄まじいだろうな。
なんかバランスが崩れてる気がする。。
公園にも信じられないような注意書きがたくさんあるし…
近所のおじさんやおばさんが危ないことをしている子どもたちに注意できれば、そんな注意書きはきっと必要ないはず。
でも注意すればその子の保護者が怒涛のごとく怒り狂って文句を言いにくるから注意できなくなって、注意書きが必要になる。
子供を守るつもりが、子供を息苦しくさせていることってたくさんあるから気をつけないとな。
我が家は今年ももちろん豆まきはするし、娘は2粒、私は32粒一緒に食べる。
子供の気管は、豆ぐらいの太さと聞いとことあるし、
楽しい行事で不運にも亡くなった子供もいるし。
万が一、気管に入っても対応できないよね。
だったら、安全を取った方がいい。
豆なんか大きくなれば、食べれるんだから。
普通に噛み砕くところまで見守ってあげればどうってことないものを。
いかに日頃保育士さんの人数不足で見守りの目が足らなくて、安全に自信が持てない状況か、背景として透けて見える。
結構前にあったコンニャク系ゼリーの窒息事故は、発生する理由が分からなくもないのですが、炒り豆で窒息事故というのはちょっと・・・・噛まずに丸呑みしていたのでしょうか?じゃないと大きさを考えると、詰まること自体考え辛いですし・・・それに対して周囲の大人は何も言わなかったのでしょうか・・?もしそういう事だったのなら何とも悲しい状況です・・・
そしてここまで変えてしまうのなら、もう豆まきを無理にする必要も無い気がしますね
伝統行事の実施は各家庭で
形骸化してなんの行事かもうわからん
子供の対応なら、間違えていると思う。
よく噛んで食べること、
噛むことによって、身体に良い影響があること、etc
なので、何でも避ける考えは間違えていると思う。
どこかで、鬼は怖がるから「お面を付けない」とかいう話も
耳にしたことあるし…orz
豆類を吸い込んでしまう子どもは時々病院に来ます。CTで見ると葉気管支あたりにある事が多いような気がします。
そうなると全身麻酔下に気管支鏡で取るわけですが、なかなか取るのが難しかったりします。万一、取れないとそこで難治性の膿瘍となってしまうので、肺の一部を切除する手術をする事になります。
なので我が家では小学校入学まで大豆などの一部の豆類は与えないようにしています。節分では何粒かずつ大豆が個包装された製品がありますので、その個包装ごと投げます。
その辺のこと教えるのは家庭でやったらいいのでは。
みんなで、集団で楽しむための工夫であって、そんなに意味がないような行事に成り下がっているとは思えない。
周りや世間と現場の思っている目的が違うから否定的な声が多いのかな
なにかあったらすぐクレームの親が多いから
教育というより何事もなく家に帰すのが仕事になってしまう
母子手帳にも3歳まで豆はあげないようにと書かれています。
注意して食べても、つるっと入ることがあるから避けるんです。窒息はすぐに能に酸素が行かなくなるので危険なんです。死ぬだけではなく、植物状態でいる子も多いんです。決して4人は少なくありません。
死んでから、脳に酸素がいかなくなってからでは遅いんです。
そのうち、真綿で包まれた部屋の中で、全てを読み聞かせで終わらせる時代が来そうだな。
幼児期から、これはこうすると危険、こうすれば安全という事を教える事こそが大事なことなんじゃないですかね。
幼稚園児でも言って聞かせれば一粒ずつ食べるんじゃないの?少なくとも我々の頃よりおませさんでしっかりしている子供が多いと思いますが。
うちの子らも含め、それまで子供たちは登ることはしなかったのに、自分たちの孫たちがその年齢になって来た時に心配だと先回りをして危険を取り除いていく一部の大人たち…。なんだかなぁ。
保育園や公共の場でもこういうことが増えてきて、だんだん鈍感な子供たちが増えて、鈍感な大人になっていく。世も末だ。
あれも危ないこれも危ない、で大人に小さな危険を全部排除されてから与えられた環境で過ごす子供達
こんな環境でずっと育ったら、将来は体も頭もひ弱な大人だらけになりそう
家でやれ、という意見もあるけど友達皆で楽しく学ぶのもとても良いことなのに。
豆食べて窒息するなら、他の物でも窒息する。
こんにゃくゼリーをのどに詰まらせて窒息する話が合ったけど、餅も同じように窒息するし、トラブルの件数や事故率でみたら餅の方がずっと危ないのに、こんにゃくゼリーは袋叩きにあって、餅は完全スルー。
こういうのをヒステリーっていうんだろうな。
その豆を踏み潰してしまったり…。
窒息もだけど落ちたものを食べてしまう子もいないか衛生的に心配。
豆まきなんて、昔からの風習とはいえ何故いつまでもそんなもったいない事するんだと疑問に思っていた。
新聞紙などで代用しても全然いいと思う。
何でもかんでも排除してたらひ弱な子供に育ちそう。
危ない事でも、こういうところが危険だからこう回避するんだよ、というのを教えるのも大切だと思うけどな。
そうやって危険だなんだと予め排除するから、いざという時の力もないし、それが危険と解らなかったり人に向ける痛みが分からない子どもになるんじゃない?
保育園とかの先生は大変そうやい
危ないから水には近寄らない。間違いない。責任問題もあるし。
でも
人間力はますます低下している昨今だと感じる。
危険を排除された環境で育つと危険予測能力が育たない。
豆抜きの豆まきが子供にどのような悪影響を与えるかのほうが心配だ。
「命の危険」と「風習」なら命の危険を優先する。
命を優先するために風習は壊してもよい。
この考え方を幼少期に植え付けて良いものかね?
そしたら危険な事を学ばずに大人にさせるの?
先が不安だ。
あれは恐怖だった。
>昨年までは、保育士が扮(ふん)した鬼に子どもらが煎り豆を投げていた。だが、鬼が怖くて保育園に来たがらなくなる子もいたため人形に変更し、
秋田県では、なまはげが同じ境遇になっているそうですね